共通して見えること
地形を表す普通名詞を含む苗字は、離れた地域で独立に生まれる可能性があります。したがって、同姓や共通漢字だけを根拠に単一の祖先や一つの発祥地へまとめることはできません。
「山」を含む地形姓の成り立ち
山本と山口は、どちらも「山」を含み、地形や地名と結び付いて各地で成立し得る苗字です。似た構造を持ちながら、示す場所の捉え方と個々の地域史は異なります。
地形を表す普通名詞を含む苗字は、離れた地域で独立に生まれる可能性があります。したがって、同姓や共通漢字だけを根拠に単一の祖先や一つの発祥地へまとめることはできません。
山本は山のふもと・基部を示す説明、山口は山への入口・山際を示す説明が中心です。どちらも地域ごとの地名・居住環境を確認して初めて具体的な来歴へ近づけます。
SIDE BY SIDE
「掲載中」は姓史で確認できた範囲です。実社会の総数や価値を示すものではありません。
ORIGIN NOTES
『精選版 日本国語大辞典』は「山本(山下・山元)」を「山のふもと、山のした」という一般名詞として説明し、『播磨風土記』の用例も挙げています。地形語から姓が成立し得ることを示す名称形成の手掛かりであり、山本姓全体の単一祖先を示す系図ではありません。
地形語「山のふもと・山の下」 · 小学館(コトバンク掲載)上富田町の文化財解説では、山本氏は紀伊の一瀬(市ノ瀬)にある龍松山城を本拠とし、鎌倉時代末から羽柴秀吉の紀伊平定まで活動したとされます。「小山文書」や「花営三代記」の記載も示されており、紀伊で具体的に追える中世の地域系統です。
鎌倉末〜戦国期・紀伊市ノ瀬の山本氏 · 和歌山県上富田町長浜市教育委員会の保存管理計画は、近江の山本山城について、創建を新羅三郎義光の系譜に属する山本義経または父・義定の頃とし、治承4年(1180年)の山本義経の動向にも触れています。紀伊の山本氏とは自動的に結びつけず、近江湖北の別の地域史として扱います。
平安末期以降・近江湖北の山本山城と山本氏 · 滋賀県長浜市教育委員会日本大百科全書の山口市解説は、中世の「山口」地名が「山への入口」という一般名詞から広がった可能性を示しています。山と平地の境に生じる地形語・地名の形成例として扱い、全国の山口姓すべてが山口市に由来するとは断定しません。
名称形成・山への入口 · 小学館(コトバンク)堺市の山口家住宅は、1615年の大坂の陣で市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも数少ない江戸初期の町家です。1775年の改築や1800年の北土蔵建築を経た、堺の商家文化を伝える具体的な山口家の地域史です。
江戸期・堺の山口家 · 堺市佐賀市川副町大詫間の山口家住宅は、19世紀中頃の建築と推定される重要文化財です。佐賀県南東部と福岡県西南部に限られる「じょうご谷」「四方谷」の屋根を持ち、旧状をよく残す別地域の山口家です。
19世紀・佐賀大詫間の山口家 · 佐賀市PEOPLE ARCHIVE
掲載理由と出典が確認できる人物だけを表示しています。